大林宣彦監督を偲んで

公開日 2020年05月15日

これまで本学に何度も足をお運びになり、いつまでも若々しく温かな印象を残していかれた大林宣彦(1938-2020)監督の人柄を偲び、監督と交流のあった柴市郎・日本文学科教授による追悼文を掲載させていただきます。

追悼・大林宣彦監督 ―「大林宣彦映画考」の思い出―

先月4月10日、当地、尾道出身の映画監督・大林宣彦氏が病のためにお亡くなりになった。実験映画の製作から、まだ創成期だった頃のCM業界におけるディレクターを経て、東宝配給『HOUSE・ハウス』(1977・7公開)で商業映画を手掛けるという大林氏がたどった道程は、大手映画会社に入社して助監督を経て監督へという階梯が一般的であった日本映画界において前例を見ないものであったし、その晩年、病を得てもなお映画製作への情念を燃やし続け、つとに『HOUSE・ハウス』制作以前、脚本ができあがっていた檀一雄『花筐』を原作とする映画を幻に終わらせることなく、『花筐/HANAGATAMI』(2017・12公開)として完結させたことも見事としか言えない。

かつて、わたしが携わった仕事に都道府県ごとにゆかりの文章(漫画も含む)を集めた文学アンソロジーの企画があり、その広島県版(『ふるさと文学さんぽ 広島』2013・7)を担当して広島に関わる文章を渉猟する作業に明け暮れていた最中、大林氏の著書類をそれまで未読であったものを含めて、まとめて読むことになり、文学研究者の端くれとして、その言葉に対する感度の高さに心打たれるものがあった。その感銘は、拙著の巻頭に大林監督の文章「失われた、暮しの中の、文化。」を置くという形をとって具体化されることになった。その文章は、「空になった」ことを「ミテタ」とよぶ土地の方言をめぐるものであり、郷里尾道のことばが、氏が少年期に御母堂から聞いたはなしの記憶と生き生きと結びついており、しかもそれがプライベートな追憶の領域に留め置かれるにとどまらず、広く、今の社会に向けられた氏の鋭い批判精神の中になお息づいていることをうかがわせるものであった。そこには、氏の残された尾道三部作、新尾道三部作とはまた違った角度から、大林氏の、紛れもない‘尾道人’としての根っ子が見えていた。氏を評するときに「映像の魔術師」という言葉がよく用いられるが、大林氏は映像の世界の人であるだけでなく、それとほぼ同等の重みにおいて言葉の世界の人でもあった、とわたしは思う。

2013年12月13日の午後、大林監督を招いて本学C4講義室でおこなわれた、尾道瑠璃ライオンズクラブ寄付講座「大林宣彦映画考」は、近作であるAKB48のミュージック・ビデオ『So long! The Movie』の上映に続き、シンポジウム、大林監督のご講演というプログラムであった。大林監督には、本学の母体である尾道短期大学の時代にも講演をしていただいたこともあったが、シンポジウムのパネリストのひとりとして同じ壇上に立ち間近で氏と話を交わすのは初めてのことであり、まことに貴重な経験をさせていただいた。シンポジウムで、わたしは福永武彦の同名小説に基づく『廃市』(1983・12公開)を取り上げ、福永の小説とシナリオと映画を相互に比較しながら、氏が文学と映画の関係、原作とそれに基づく映画の関係についてどのように考え、またその考えをいかに実践していたかについて、ささやかな考察を大林監督ご本人を前に述べることになったのだが、一般の研究発表と異なる環境ゆえ妙な感じを抱きながらの話になった。わたしの拙い話が終わった後の「なんだか自分が解剖されているような…」という、大林監督のつぶやきともつかぬ言葉が印象的であった。大林監督もまた、ご自身の前で研究者の理屈を聞かされることには或る種の違和感を覚えられたのではないだろうか。

本学での「大林宣彦映画考」の掉尾を飾った大林氏のご講演は、少年期に太平洋大戦末期の空気を肌で感じておられた氏の、平和を希求して止まない切実な想いが、今の時代の雰囲気に対する批評と警戒心とともに聴衆に伝わってくるものであった。氏の近年の作品は、『この空の花―長岡花火物語』(2012・4公開)、『花筐/HANAGATAMI』、そして遺作となった『海辺の映画館―キネマの玉手箱』など、いずれも戦争の悲惨さを訴え、平和とは何かを問いかける映画になっている。しかし、公開当時、斬新な娯楽映画、あるいはアイドルを起用したホラー映画とも評され、世間の視線がもっぱらその異彩を放つ映像美に集まっていた『HOUSE・ハウス』に、すでにして、戦争によって引き裂かれる愛の物語が書き込まれていたことを見落としてはならないだろう。かくして、一貫して揺らぐことのなかった氏の平和への想いは、今、大林映画を観る私たちに託されることになったのである。

大林宣彦監督は、日本映画の歴史に決して消えることのない足跡を残されました。そして、 ここ尾道市立大学にも尾道短期大学時代をふくめ、かけがえのない贈り物を残されていったのです。ここに謹んでお悔やみを申し上げます。

(日本文学科・柴市郎)

 

 

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