負の地域資源と美術活動

 

 

芸術文化学部美術学科 教授(油画コース)
小野 環 ONO Tamaki
専門分野:絵画・インスタレーション

 

自己紹介

尾道に住んで20年が経とうとしています。美術家として活動し、絵画や立体作品などの制作をしています。それだけではなく、様々なコラボレーションや社会活動も行なっています。尾道に来てから、様々な場所を使った美術活動を始めました。最初は尾道帆布とコラボレーションする形で尾道帆布展の運営に関わりました。商店街の空き店舗で滞在制作や展覧会を行なったり、千光寺登山道全部を拓本に取るという作家のプロジェクトを企画したりしました。また、2006年からはユニット「もうひとり」としても活動を始め、国内外の様々な場で制作や発表をしてきました。そんな中、活動の拠点としているのが山手地区と呼ばれる尾道の旧市街斜面地です。

 

尾道の空き家問題

現在、空き家の増加は全国各地で大きな問題となっていますが、尾道でも駅に近い山手地区を中心に数多くの空き家があります。その大きな要因は人々のライフスタイルの変化です。斜面地には車が直接入らないため、生活上不便なうえ、工事車両も入らず、メンテナンスも困難で、多くの人々が流出していきました。高齢化も進み、その結果、空き家が増加。現在、その数500を越えると言われています。しかし、尾道固有の町並みや建物はそこで営まれてきた暮らしの歴史であり文化を表現しているものでもあります。しかし、残念ながら住人不在の家々の傷みは年々加速し、すでに廃墟化しているものも少なくありません。これらの家々は負の地域資源と言えるものですが、そのような場所を舞台に、私は美術家の仲間とAIR Onomichiの活動をはじめ、また、それらの物件を活用・再生する尾道空き家再生プロジェクトの活動にも参加しています。

 

美術の役割と「負の地域資源」

美術には物の見方の多様性を提示する役割があると思います。それは時に表現者の多様な感受性を示すでしょうし、事物を先入観から解放して、それらが持つ新たな可能性を開くかもしれません。空き家は「負の地域資源」と言われますが、それは単なる負の存在に過ぎないのでしょうか?直感的にそうは思いませんでした。むしろ逆で、そこに大きな可能性があるとワクワクした感じがありました。僕は尾道を拠点に活動している美術家、三上清仁たちとともこの斜面地のエリアで拠点を持ち、活動を始めようと思いました。山手にある空き家が、表現を展開する場所として可能性の宝庫に見えたのです。また、自分たちで作品を作るだけでなく、他のアーティストと状況をシェアしたいとも思い、2007年にアーティスト・イン・レジデンス「AIR Onomichi」を始めました。(アーティスト・イン・レジデンスとは美術家を特定の場所に招いて滞在制作してもらう企画のことを言います。)以来、国内外より16組の美術家を招聘してきました。現在も廃屋をリノベーションしたり、地域の風化寸前の歴史や個人の記憶を辿るリサーチを招聘作家とともに続けたりしています。その過程で、建築家や職人、また、歴史学や文化人類学の専門家などとコラボレーションすることは自分にとっても大きな学びの機会となっています。

 

作品紹介

 
 《GARDENS 01》 アクリル、紙 183×251cm 2003年

 
 《Wind-ow》 サイトスペシフィックインスタレーション 尾道市山手地区 2007年


 《Fremes》 インスタレーション 木材、紙、プロジェクターほか 2012年


 《再編/整頓・混沌》 書籍、接着剤 2015年

 

尾道の街中で気になるもの

僕は町歩きの中でよく路地園芸と言うのでしょうか、家の前においてある植木鉢の佇まいがとても気になって、たくさんの写真を撮ったりしていました。今もすごいのがあると思わずシャッターを切ってしまいます。それとツギハギの建築が好きです。きちんと設計されたスマートな建築も素晴らしいとは思いますが、僕はトタンで補修を重ねられているような建物に魅力を感じます。なぜでしょうか?錆びた質感が時間の経過を感じさせ、つぎはぎになった加工感が人の存在をほのめかしているからでしょうか?周りに添えられた小物の佇まいが暮らしのありようを表しているからでしょうか?言葉で追いかけても写真で記録しても何か物足りない感じが残りますが、そんな勝手に自分が魅力を感じる街の佇まいも路地園芸とともに自分の写真コレクションとなっています。皆さんも是非、散歩してみてヒューマンスケールの尾道の街を体感してみてください。